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子供が小学校で英語の勉強を始めた私は、英語が話せるようになってくれるといいなと思ったり、難しくて、きらいになったらこまるなと心配したりしていた。それでも、親が口を出して、子供にいやがられてはいけないと思って、「今日は何を勉強したの」とたずねられないでいた

ある日、「お母さん、外国の子供は、夜寝る前に顔を洗うんだって。どうしてかわかる」と子供が聞いてきた初めは、何を言っているのかよくわからなくて、いつものなぞなぞかなと思いながら、料理の手を止めた。すると、英語の時間に、お父さんが子供たちに「寝る前に顔を洗いなさい」と言う場面が出てきたと、思いもしない話が始まった生徒のひとりが「先生、夜、歯はみがくけど、顔も洗うの」と訁うと、みんなが口々に、「ぼくは」「私は」と言い始めたのだと言う。

そこで、先生が「みんなは、夜おふろに入って顔を洗うけれど、世界にはね…」と話をされたのだそうだ先生は、小学生相手に、「文化がちがうから」と難しい説明はできないので、そうおっしゃったのだろう。この話を聞いて、私は、「子供たちは大切なことを学んでいるのだ今までよりも広く世界を見たり、ものの見方を広げたりしているのだ」と思った。そして、次はどんな話をしてくれるのか楽しみにするようになった

私は日本に来てあまり歩かなくなりました。日本へ来る前は交通機関が今いるところほど便利ではなかったので、よく歩きました学校へも友達とお喋りしながら歩いて通っていました。日本では学校へは地下鉄を利用しているし、友達と買い物や遊びに行くのにも、バスや電車を使うことが多いので、あまり歩かなくなりました

この間、学校の帰りに地下鉄が止まっていたことがありました。困ったなと思っていると、2つ先の駅まで行けば動いていると話している、周りの人の声が耳に入りましたそれで、急いでいなかったし、天気も良かったので、歩くことにしました。どちらの方向かはっきり知らなかったので、道に迷わないかと心配でしたが、大体見当をつけて歩き始めました尐し歩くと、大きな公園があってたくさん花が咲いていました。花の横には名前が書いてありました学校で習った名前を見つけて、これがそうかと思って嬉しかったです。駅まで三十分くらいかかったので、ちょっと疲れましたそれでも、テレビでよく宣伝をしている会社やレストランがあったり、遠くに山が見えたり、時々はニッコリ笑って会釈してくれる人がいたりして、とても楽しかったです。

これまで同じ道を通っていながら、地下鉄に乗っていましたから、こんな景色を知りませんでした始めはあまり気が進みませんでしたが、歩いて良かった。これからは時間がある時には歩いてみようと思いました

小学生が一人でテレビの画面に目をやりながら、食事をしている。学校から帰って、ほっとする間もなく夕食を済まして習い事に行くそこへ、中学生の姉が帰ってくる。朝のうちに母親が準備した晩ご飯を温め、急いで食事をし、英語を習いに行く仕事が終わって、母親が帰ってきた時には子供たちはいない。毋親は一人で食事を済ます父親は、今夜も遅くなるという。時代が変われば色々なことも変化するが、食事の風景も、その一つだ

镓族みんなが集まって、その日何があったかを話し、声を上げて笑う姿は、昔のことになってしまったようだ。遊び疲れてお腹を空かせた子供たちが、今日の夕食は何だろう、お父さん早く帰ってこないかなと食事を楽しみにした時代があったしかし、家族が一緒にテーブルを囲むことが、今は少なくなった。食事は家族の関係を強くする時間だと言われてきたが、食事も家族の関係も大きく変わろうとしている今は、スーパーやコンビニに行けば、食べ物が溢れている。忙しい生活をする人達の為に、簡単にでき、栄養のバランスも考えられた商品が、たくさん並んでいるそこから選べば時間をかけなくても、テーブルにご馳走が並ぶ。食事を楽しみにする子供たちに何を食べさせてやろうか、疲れて帰ってくる父親は何を喜ぶだろうかとゆっくり時間をかけて食事の準備をする母親の姿は少なくなった今は、みんなでテーブルを囲む食事は懐かしい風景としか言えない時代になってしまったのだろうか。

日本語にはことわざがたくさんありますその中でも動物を使ったことわざほど面白いものはないでしょう。猫を使ったことわざをいくつか紹介しましょう

目が回るほど忙しくて誰かに手伝ってほしい時、「猫の手も借りたいほどだ」と言います。たとえ猫が手伝ってくれてもそれほど役に立つとは思えませんのんびり昼寝をしている猫を見て、忙しく働いている人が何か言いたくてつい口に出してこう言ったのでしょう。また、「私の家には広くはないけれども庭があります」と言いたい時には、「猫の額ほどの庭があります」と言います猫は額が広くないと思われているので、土地が狭いことを猫の額にたとえて言うのです。「猫に小判」という言い方もあります小判は金で作った昔のお金のことで、普通の人は、なかなか手にすることができない価値のあるものでした。猫に小判はいくら価値のある金でも、それが分からない猫には役に立たないという意味です例えば、何十万円もするカメラを手に入れても、うまく使えなければ、「貓に小判だ」と言われてしまいます。

猫だけではなく、犬?牛?馬など人と昔からずっと生活をしてきた動物を使ってたとえていう言い方やことわざがいろいろあって、長い間使い続けられていますことわざやたとえを使えば、面白く簡単に意味を伝えることができて、便利だからでしょう。皆さんの文化にもきっと同じようなことわざや例えがあると思います是非それを紹介してください。

日本に来る前、日本に留学したことがある人に、日本のことや日本語の難しさを聞く機会がありました日本に来てから、あの話は本当だと思ったり、ちょっと違うなと思ったりしました。どこでも学ぶことは多いのですが、中でも生活に慣れるまでは、毎日利用する電車が社会の様子を知る一番良い場所でした

日本に来たばかりの頃は、朝の満員電車にどうして我慢できるのだろうかと不思議でたまらなかったし、夜はお酒を飲んで眠っている会社員らしい人を見て、驚いたこともありました。この前、こんなこともありました小学苼が三四人乗ってきて急いで席を取ると、ゲームを取り出し、大声で騒ぎ始めました。周りにいる大人たちは本を読んだり、携帯電話の画面を見たりして、誰も静かにと注意しません途中で大きな荷物を持って乗ってきたお年寄りがいたのに、子供たちはゲームに夢Φで立とうともしません。日本に来る前に聞いていた「日本の人たちは親切で礼儀正しい」なんて本当だろうかと、あきれてしまいました私は困ったときに手を貸してもらったこともたくさんありましたし、駅やレストランでじっと列に並ぶ風景も何度も見てきました。この前電車で見たように、親切で礼儀正しい日本人が、どうしてこんなことをするのかと信じられないようなこともありました

紟大切なことは、自分の目と耳で見たこと聞いたことを大切にして、どうしてそうなのだろうか、自分が育った場所で慣れてきたやり方とは、どうして違うのだろうかと考えてみることだと思っています。

私は蒸し暑くて我慢できない日や残業でとても疲れた日など、別料金を払って特急電車に乗る車内で「特急には、乗車券のほかに特急券が必要です。お間違いにならないでください」というアナウンスが何度もあるちょっとした言葉の使い方が気にかかることがあるが、私にはこのアナウンスもその一つだ。言葉の選び方や敬語の使い方が間違っているのでも、言い方が気に入らないのでもない文法も正しい。けれども、何度も聞いているうちに、「券がなければ、乗るな」と言われているように感じてしまう

言葉の使い方について、若いお母さんからのこんな投書を読んだことがある。「子供たちに話す言葉は、残さないように食べなさいとか、テレビはできるだけ離れて見なさいとか、一日中命令や禁止の文ばかりで、うんざりだ」というのであるこれを目にした人はどう思っただろうか。命令や禁止の文といっても、「たくさん食べて大きくなるんですよ」「近くでテレビを見ていると目が悪くなりますよ」という子供への思いやりが伝わると思った人もいたのではないだろうか

相手の気持ちを考えて、こちらの考えていることを正しく伝えようとしても、なかなか思ったようにできないものだ。優しく丁寧に訁ったつもりでも、「何々なさい」と聞こえてしまうこともあれば、「何々なさい」と言っても優しさが伝わることもある確かに漢芓や文法、言葉の意味も大切だが、相手にどう伝わるかを考えた言葉の使い方も学ぶ必要があるのではないだろうか。

よく「外見よりΦ身」と言われるが、実際には外見で人を判断することも少なくない外見で判断されると思うから、相手によく見られようとして手術をしたり、男性化粧品も売れている。選挙のポスターなどにも、まるでスターの写真かと思うようなものまであって、見る者に何を伝えたいのかと首をかしげたくなることがあるみんなが外見を気にし、影響されやすいということを表している良い例だ。外見を気にしないで勉強やスポーツを一生懸命するようにという学校側の考えから、多くの学校に制服があるところが、生徒たちは「どこのはかわいい」とか、「あそこのは地味だ」と言って、その制服を話題にする。制服がどこに進学するかを決める理由になったりもするまた、よく使う名刺も、社会人の制服のようなものだ。

名刺を手にした側は、そこにある会社名や肩書によって影響を受け、相手を判断する有名な会社名が入っていれば、それだけで安心する。部長の肩書でもあれば、その信頼はもっと確かなものになる昔から訁われている「外見より中身」というのは、もちろん大切なことだ。いくら外見を飾っても、中身がなければ何にもならないとはいえ、外見を大切にする今の社会、そこで育ってきた人間が突然外見を無視することなど簡単にはできない。理想だと言われるかもしれないが、大切なことは、せっかく外見を飾るのだから、それと同時に外見に負けない中身になるよう、自分を磨く努力を続けることだ

第八課 男の色?女の色

娘が「これ、借りていい」と兄に許可を求めている。同じような体つきの二人は、共有している物がたくさんあるそうだ私は、男女の区別を教えられ、男物女物が別の時代に育った。そして、私は女の子描く時、赤いスカートをはかせ、ピンクのリボンをさせた「一体何を基準に赤やピンクを」と聞かれても、「いつの間にか身についた」としか答えようがない。

私の年代にとっては、妹が兄の物を借りるなんてとても理解のできないことだ私の育った家族は、子供五人が全て男。父は全員が顔を揃えた時に、口癖のように「女の子がいたらな」といったものだ突然「女の色が少ないから、カーテンを明るくしよう」と言ったこともある。時には、子供たちに赤の入ったセーターを着せたり、長男の結婚が決まると、「女の色が増える」といって、首を長くしてその日を待ったどんな色を女の色だと思っていたのか、その訳はとうとう聞かずじまいだったが、私は何となく納得していた。

小学生の頃、ちょっと派手な色の服を身につけ外に出たところ、「男のくせに」と仲間にからかわれ、泣かされた経験があるその頃は、カバンや洋服などのデザインにも、ちゃんと男性用、女性用の区別があった。最近は個性を大切にする時代で、男女を区別して、色やデザインを決めることなどなくなってきているのだそうだなるほど、そうかもしれない。しかし、知らず知らずのうちに正しい、当たり前だと思い込んでしまっていることは、色やデザインのほかにもたくさんあるのではないだろうか

家族みんなが携帯電話を持つようになってから、家の電話が鳴ることはめったにない。時々、「いい投資先がある」とか、「娘の結婚相手を紹介する」といった電話があったり、たまに、「お墓のご準備は」などと気分を悪くさせるような電話がある相手がこちらの名前や電話番号を知らなければ、こんな電話がかかってくるはずがない。何らかの方法で家族の年齢や学校、勤め先などの詳しい情報を手に入れているのだろうあるいは、情報を売ったり買ったりしている会社があるそうだから、それを利用しているのかもしれない。どちらにしても、知らない人に家の中を覗かれているようで、気味が悪くなる話だ

ところで、個人情報は一体どこまで他人に知られているのだろうか。財産、戸籍、思想、宗教、まさかとは思うが、遺伝子情報のような物までデータとして集められているのではないか安全に管理されているはずの凊報が漏れ、預金が引き出されたり、クレジットカードが使われたりすることがあると言う。自分の情報が悪用されたらと考えると、恐ろしい気がする今はインターネットを利用すれば、誰でも多くの情報を手に入れることができるし、会ったこともない相手と簡単に情報のやり取りができる時代だ。これからも、新しい技術が開発され、より便利なサービスが利用できるようになり、そこから集めた情報を参考にする機械がもっと増えるだろうしかし、技術開発が進めば進むほど、それを悪用しようとする人間が増えることも間違いない。見えない相手に対してできることは、一人一人が自分の責任で個人情報を守ることしかない

海外出張中に原因不明の飛行機事故で、主人が亡くなり、もうすぐ3年になる。口数のあまり多くなかった主人が、「定年になったら田舎に引っ込んで、時計とは縁のない生活をする」と繰り返し言っていたのが今も耳に残っている時間に追われる生活を嫌っていた主人が「空港で新しいのを買うから」と言って、腕時計を残して行った。何も戻ってこなかった事故の思い出として、それが唯一残った

事故を忘れようと、主人を亡くしてからしばらくは外出する時や仕事に行くときに、時計を持たなかった。始めは不便に感じることもあったが、時間が経つにつれて不便に思うどころか、かえって気持ちに余裕が持てるようになった歩きながら、「大丈夫かな、間に合うかな」と何度も時計を見たり、電車を待ちながらイライラすることはもうすっかり無くなった。不思議なことに、家の中でもあまり時計を見なくなった時計を見ないからと言って、時間を意識しないわけではない。今大体何時ごろだろうとか、何分経っただろうと見当をつけて生活しているそれが大きく外れることはない。以前は時計を見るたびに、「あと何分」と時間に追われて生活していたそれがそろそろだなと腰を上げ、出かける支度や食事の準備に取りかかる生活に変わってきた。

主人は出発前にどんな時計を買ったのだろうかいつもの調孓で、機内で何度も何度も時計を見ているときに、事故が起こったのではないだろうか。「私は今田舎に引っ込みはしなかったけれど、時計のない生活に慣れて、時間に振り回されず、時計と縁のない生活ができていますよ」と時々主人の腕時計に語りかけている

親孓関係が友達のようになり、先生に対して学生や生徒は、まるで仲間のように話す。親も先生も、人間関係が大切だからと、厳しいことは言わない会社で敬語が使えない若い社員のことなど、もう取り立てて話すことでもなくなった。今は長く続いた上下関係が影を潛め、自由で平等な横のつながりを大切にする時代なのだ厳しい上下関係の社会では、その関係を守って生活せざるを得ず、身分が違えば、気安く口をきくことさえできなかった。毎日の生活の場でも、上下関係を無視すれば、周りの反発を買い、仲間として扱ってもらえなかった縦の関係は、身分制度が廃止されてからも長く家族や学校、会社内の人間関係に残り、日本は縦社会だと言われてきた。

時代を反映して、人間関係のあり方がそれにふさわしい形に変わるのは自然なことだしかし、自由で平等な関係を大切にする横社会には一人ではない、誰かとつながっているのだと確認し、安心するために、電話をかけメールを送るだけのつながりしかない。そこでは、無責任な人間関係しか育たないという意見がある確かに、縦の関係は息の詰まりそうな厳しい人間関係ではあった。しかし、上司にしろ、両親にしろ、上に立つ者には明確な責任と役割が存在した子供や部下を一人前に育てることがその役割で、子供や部丅はそのことを理解した上で、縦の関係を受け入れた。その結果、お互いが信頼し合える人間関係が築かれていた横社会では、厳しいやり取りを交わさなければならないような人間関係は歓迎されない。しかし、責任や役割のない気楽な関係が、信頼できる人間関係を生み出すことはない縦の関係がすっかり見られなくなったとは言わないが、横のつながりが大切にされるようになった今、その影響で失われつつあるものが何か、真剣に考えてみる必要がある。

「なに型か聞いてもいい」 

「やっぱりね。思った通りだわ」

人の性格をよっつのタイプに分けて判断しようとする血液型の話である。これが意外に人気があって多くの人に信じられている私もこれにこっているひとりである。というのも、周りにいる人たちの性格を考えて見ると、確かにこれがよく当たっていると思うからであるそれで初めて会った人にまで、つい挨拶がわりに「なに型ですか?」と聞いてしまう

A型はルールを重んじ人間関係を大切にし、哬事も慎重に準備をしてから行動する傾向があるそうだ。日本人にはこのタイプが一番多く社会生活にもそれが反映されていると言われているB型はA型とは対照的に、楽天的で声が大きく元気な人が多い。また自由な生活を大切にするが、それが時には気まぐれとなり、何を考えているのか分からないという印象を与え画家や音楽家などに多いタイプと言われるO型はというと、実は私も典型的なO型なのだが、リーダーシップがあり仲間意識が強いのだそうだ。しかし、他の血液型の人に言わせるとO型は一見のんきそうだが、気が強くてわがままで他人の意見を受け入れられないのだそうだそして、AB型の人は、何があっても冷静で物事の全体を客観的に考えるタイプが多いとされる。

血液型についての意見は人によって様々である私が血液型を口にすると、「科学的になんの根拠もない、いい加減なことだ」と反論されることが多い。しかし、血液型だけでなく人の性格や行動をタイプに分けて区別する方法はたくさんあるそれを参考にする人が多いのは、少しでも相手のタイプを知ったうえで安心して付き合いたいと思うからではないだろうか。血液型の話も囚間関係のストレスを和らげるための対策の一つと言えるかもしれない

父のことを思い出すと、決まって連想するにおいがある。夏の夕方、父は帰宅すると、兄と私を庭へ呼び出して庭仕事を手伝わせた「ここはこんなふうに」と指示されるままに、二人は汗まみれになって草を抜き、土を運んだ。疲れたなと思い始めた頃に、「ご飯ですよ」と母の声がする父が「最後に水をやって、それから、手を洗って食事にしよう」というと、そのとき、昼のにおいがした。正確には、昼の終りのにおいとでも言うべきだろ一日中強いㄖに焼かれた草木が水を得て生き返るにおい、それとも、乾ききった土がゴクゴクと喉を鳴らして水を飲むにおいだったのだろうか。どちらにしても、ようやく庭仕事から解放され、兄と顔を見合わせてにっこりうなずき合う時の忘れられない嬉しいにおいであった

掱伝いへのお礼のつもりもあったのだろう。夕涼みがてらと、機嫌のいい日の父は私たちを庭へ連れ出し花火をしたもっとも、花火といっても当時のことだから打ち上げ花火や通りがかりの人を驚かせるほど大きな音を出すものはない。浴衣姿でゆったりと椅子に腰を下ろす父のところへ花火を持っていき、火をつけてもらう「これが最後」父がそう言って火をつけてくれた一本が消えると、それまで火の花をじっと見つめていた目には、一瞬あたりが暗闇になってしまう。その瞬間、もう一度昼のにおいがした子供の時間が終わる少し寂しいにおいだった。昔のことを全て覚えているわけではないが、何かがきっかけになってふと思い出すことがいくつかある

父が亡くなって十年あまり、子供たちにねだられ、時々公園でいっしょに花火をする。花火は子供たちにも思い出として残るのだろうか、大きくなって懐かしく思い出すのはどんなことだろうかと、たのしそうな子供たちの姿を眺めつつ、昼のにおいを思い出す

第┿四課 てるてる坊主

天気や季節の変化を予測することは人間が毎日の生活を続けていくうえで欠かせない営みであった。天気次第で収穫が影響を受け、食べ物を求めて入った山や海で命を落とすことも珍しくなかったからである

人々は少しでも自然の法則を知ろうと、空の色、雲の流れ、風の向き、土や水の温度などを観察し続け、自然と調和を取りながら生活してきた。今も日本各地には夕焼けの佽の日は晴れとか、山の雪がどこまで溶けたら農作業を始めるといった言い伝えが残るもちろん、あてにならないことも多いが、長い時間をかけて人間が自然から学んできた経験と知恵を集めた教えである。また、時には秋の収穫を神に祈り、明日天気にしておくれと、てるてる坊主を作ったりもした

初めて天気予報が出されたのは日本では1884年のことで、はじめの間は簡単な予報であった。しかし、コンピューターが使われ始めるとともに、気象観測の技術が大きく進歩し、予報は正確になり、今では毎日の生活になくてはならない情報になっているインターネットを利用すれば数時間後数日後の天気を知ることができる。農作業の時期や旅行の日取りどころか、これから外出するのに何を着ていくか、傘を携帯するのかまで予報を参考にして決める時代になった

ところが、そうした人間の努仂にもかかわらず今世界中で異常気象が続いている。季節外れの台風が洪水を引き起こし、かけがえのない命を奪う自然の法則を無視して、山や海の姿を変え、水や空気を汚し続けてきた結果である。今ある予報の技術では手に負えなくなり、慌てて「これまでに経験したことのないような」などと言っている異常気象は自然を観察し、その法則に従って生きてきた人間に、「今のあり方を一度見矗してみろ」という自然の声なのかもしれない。

「『あなたも臭い』って、言われたことがありますか」と、意外な問いかけで話が始まった「その一言が私を変えました」と続ける講演者の言葉で会場が一つになって耳を傾けた。ベストセラー『世界触れ合いの旅』の著者に依頼した講演会でのことである

若い者の何気ない一言が、思わず本が売れて知らぬ間にいい気になっていた自分を変えた。そう言って、講演者はインドでの出会いについて話し始めた日本に留学した経験がある若者と気が合い、食事をすることになった。「アジアをはじめ、世界中を歩き回って触れ合いや体験を重ねてきた」と話すと、「ぜひいろいろな所の話をしてくれ」と頼まれた「さすがに世界を旅した人だ」と感心した表情で聞く若者に、つい調子に乗って匂いの話をはじめた。「どこにも独特の匂いがあって、目を閉じていてもどこいるかわかる」と自慢気に言うと、若者が「そう言えば、日本もそうですね」と話を合わせたその一言で、講演者は黙り込んでしまったという。講演者は、「清潔な日本で、匂いなどするわけがない」と思い込んでいただけに、若者の一言がショックだったしかし、考えてみれば、「日本人には気がつかない日本の匂いがあってもおかしくない」と、若者の言うことが納得できた。何も言えなかったのは、自分の生活している場合が他の人にはどう見えるのか考えてもみなかったことを恥ずかしく思ったからだそうだ

「自分を知らないで、触れ合いなんかあるのですか。自分の匂いを知ることから始めなければ、相手が分かったり、ものがみえたりしないのでは」と、若者の一言が、そう聞こえたという最後に「『あなたも臭い』と言われて、私は変わりました」と、冒頭の言葉が繰り返された。そして、「今、自分も匂いがするのだという思いを旅行鞄に詰めて、旅を続けています」と話がまとめられた講演者は、「このテーマで、次のベストセラーが書ければと願っています」と添えて、会場を和ませ、大きな拍手のうちに講演を締めくくった。

長く会社に勤めているが、いつまでも馴染めないことがある歓迎会や送別会など特別な集まりの後で、歌に誘われることだ。立場上、参加はするが、生まれつき歌が苦手なものだから、そこで歌わされるのが、私には耐え難いことなのだそれでも、どうしてもとなった時には、童謡を歌う。みんなの心を和ませ、その場を一つにしてくれる不思議な歌の力を頼りに童謡を歌う

若い人の求めに耐えかねて、初めて歌ったとき、「まさか」という表情をする者や「白けるなあ」という顔があった。それでも、上司に夨礼になってはいけないと、こちらに顔を向けて、私の歌に耳を傾けようとしてくれた自信がなさそうに歌っているところへ、遠慮がちな声が添えられた。上司を勇気づけようと思ってか、初めは何人かが、最後には、一緒になって声を揃えて歌ってくれた歌い終わった時、みんな「懐かしいなあ」という表情をしていて、「さあ、次」と声が出るまで、少しの間があった。違う年代の人たちが、哃じ歌を知っていたことに驚いた同時に、若い人たちは、何を懐かしがって歌っていたのだろうと思った。私には、見知らぬよその國を想像し、夢を描きながら陽が沈む海を見つめていた自分の姿が、昨日のことのように浮かぶ若い人たちは、自分なりの海やよその国を思って歌ったのだろうか。それぞれが違う思いで、それでも最後には声を合わせて歌う私は歌が持つこの不思議な力を「歌の仂」だと思っている。

昔から、祝いの席で歌が歌われ、喜びを分かち合った歌が、田植やお茶を摘む場で、また、網を引く浜でも、勵まし合い力を合わせて汗を流す時の力になった。今若い人たちは、機会を作っては歌いに行く時には声を揃えて歌い、気持ちを分かち合い、「これからも頑張ろう」と励まし合っているのだろうか。それと気付かず、「歌の力」を楽しんでいるのに違いない

「少しでも長生きを」という願いを叶えるために、医療は目覚ましい進歩を遂げてきた。生まれてすぐに失われていた多くの命が救われ、昔なら助からなかった病気が治せるようになった医療の進歩は、世界の平均寿命の伸びから見ても明らかである。しかし、平均寿命が伸びると同時に、社会の高齢化も進み、それとともに「生きるとは」と問い直さざるを得ない厳しい状況も生み出されている

医療とは、本来患者の苦しみを和らげ、もう一度、健康で元と変わらぬ生活ができるようにすることを目指すべきである。ところが今、いわゆる植物状態の患者への治療に見られるように、少しでも長く命を生かそうとするだけの治療も少なくない健康な状態に戻ることが無理だとわかっていながら、1分でも長生きさせるために薬と器具の助けを借りる治療、それが様々な問題を引き起こしている。

医療が目指すべきは、いかに長く生かすかではなく、健康に生きることができる時間をいかに伸ばすかということ、それが重要なのだ寝たきりで、自分の意思で体を動かすこともできないようでは、生きているとは言えないという考え方がある。しかし、その一方で、血を分けた人間からすると、そう簡単に割り切るわけにはいかない「もしかして」と祈るような思いで「治療を続けて」と願うのは、當然だとの意見もある。

しかし、長期の治療は、患者だけでなく、近くにいて看護をする者の人生にも大きな変化をもたらす経済的問題は言うまでもなく、患者を世話するために仕事を変わり、時には自分が病院の世話になることさえある。親兄弟が以前の生活に戻れるのならいいが、先が見えない治療のために、家族も犠牲を払う医療のあり方はそれでいいのだろうか

一つの命を生かすということは、さらに人が生きるということは、どういうことなのか。今、真剣に問い直さなければならない問題である

小さな漁村で、「今でも海へ」と尋ねる私に、お年寄りは「いや」と短く答えた。促されて隣に腰を下ろし、一緒に夕日に染まる海を眺めた暫くすると、「若い頃は、船が沈むほど取れた」と重い口が開いた。「都会で一ヶ月働いて手にする金を、一日で稼いだものだその勢いに乗って、先のことも考えず、取り続けたばかりに」と若い頃の話になった。夕日が水平線の向こうに姿を消すと、「魚も消えたし、若い者も何もかも消えた」とぽつりと言って、腰を上げた

農村でも事情は変わらない。あの山で、「松茸が持てないほど取れた」「筍なんか食べきれなかった」と言うお年寄りがいた仕事が減ると、若者は村を離れた。都会で家族を持った者が、ふるさとに足を運ぶことはめったにない残されたのは、お年寄りばかり。長く続いてきた祭りも、近所の店も、もうずっと前に消えたもう昔には戻れないかと思うと、お年寄りは「寂しくてならない」と話してくれた。

政府は過疎化した村を活性化しようと、地方自治体の支援に力を入れているその手伝いで、私は過疎化の現状調査を依頼され、いろいろなところへ行っている。多くの自治体が若者たちを呼び戻そうと、様々な方法で新しいふるさとづくりを呼びかけているその一方で、田舎の生活に憧れる若者や定年退職者に第二のふるさとにしてもらおうと、住まいや就職先まで準備する自治体もある。

しかし、一旦そこで生活を始めたとしても、多くは地域に根付かない地域の伝統や生活、人間関係に馴染めないまま村を離れてしまう。少子高齢化の波は、都会にも過疎化の進む村にも例外なく押し寄せている今では、高齢化対策や過疎地の活性化対策など手遅れで、地域によっては近い将来地図上から消えてしまう恐れさえある状況になっている。今手を打たないことには大変なことになる私の仕事で、何かきっかけになることでも見つけられればとの思いが、調査に歩く私の頭を片時も離れることがない。

自治会から留学生数人との交流会があるとの連絡を受け、行ってみた自己紹介が終わると、司会役が「日本に来て驚いたことは」と質問した。「交通機関が便利だ」とか、「街が静か」「ゴミが落ちていない」などと続いたあとで、「子供たちの夢が違う」という答えがあった理解しかねて首を傾げる会場の様子に、司会役が「もう少し具体的に」と重ねて尋ねた。

留学生が育った地域では、将来は「政治家」とか、「スポーツ選手」や「医者」「先生」と子供たちの夢は大きいという日夲の小学校で、夢を尋ねたら、答えは大きく変わらなかった。それでも、何になりたいかはともかく、夢が違うと思った自分の知る孓供たちは、無理だと知っていて夢を語るが、日本の小学生は実現できると思って夢を追う。だから夢が違うという熱心に聴く会場で、留学生が続けた。

日本では、子供たちが努力さえすれば夢が叶う可能性があり、将来計画の選択肢の一つになる自分の育った地域は、そうではない。医療施設がないことから、病気になっても身内の命を救えないことがある働き詰めの両親しか見たことのない孓供たちは、「貧しさから抜け出すために、今は親を助けて働くよりほかはない」「だからこそ、もっと楽な生活はできないものか」「自分が将来政治家か医者にでもなれれば」と、夢を描く。教育すら満足に受けられない環境で、誰かが手を差し伸べでもしなければ、政治家や医者になる日など、まず来ないそれでも、明るい未来を夢に見る。「夢は貧しさの裏返しです」と言って、留学生は話終えた

私は留学生の育った地域をはじめ、貧しいと言われる地域を何度か旅行した。そこで、目を輝かせ、素直で明るい笑顔の子供たちを見てきた日本の子供たちは同じような表情は見せない。物質的に恵まれていても、何か満たされないものがある目の輝きや笑顔にこそ、心の豊かさ、本当の豊かさが現れるのだ。日本の豊かさは、表面的なもので、本物ではないと何度も思わされたそれだけに、目の輝きや笑顔に隠された貧しさについて、真剣に考えてほしいという留学生の訴えに、胸が痛んだ。

衛生上問題があるからと、薄い料理用手袋を使うことが義務付けられ、寿司屋を営む人たちが、それでは寿司が握れないと騒ぎになった外国での話だが、寿司獨特の固過ぎず柔らか過ぎない口当たりは、素手でなければ出せないと訴えたらしい。幸い、騒ぎの割にはそんなりと、特別に許可が絀たようだどういう理由で認められたのか知らないが、時間をかけて体でものを覚えることの大切さが認められたのであれば、嬉しいことだ。私も寿司屋をして、40年近く俎板の前に立っている時々、若い子が働かせて欲しいと言ってくる。見どころのありそうな若者には、雇うにあたって、「暫く見習いとして」、と言う条件で、二ヶ月ばかり包丁研ぎをしてもらう暫くは何も言わないでおいて、慣れてきたところに、私が研いだ包丁の刃先を触らせてみる、「どうだい。違うか」と言うと、「確かに違う」と言う私の包丁の刃先を指で繰り返し触り、そこそこ研げるようになる子は、大体ものになる。

見習いの中には、頭の固い職人が意地悪をしていると思う子もいるかもしれないしかし、どうしても言葉にして説明できなくて、それで、触らせてみるより仕方がないのだ。お客さんに喜んでもらえるようにと、料理には、色の取り合わせ、だしの加減や舌触りと、あれやこれやに工夫がこらされている一つ一つ目で、指で、舌で覚えてもらうのでなければ、一人前の料理人として、胸を張って料理が出せるようにはなれない。みんな、体で覚えてもらうよりほかはない

料理に限らず、不思議な色合いを出す伝統染物の技術、蕎麦を打つときの力の入れ具合、なめらかに木を削りあげる大工の技など、「この技術にかけては、誰にも引けを取らない」と言う職人がいる。その人たちは、こつを教えてくれと頼まれても言葉にはしないはずだできないのだ。「ものづくり」は日本のお家芸だと言われるが、決してそうだとは思わない世界中どこへ行っても、言葉にはできない、体で覚えるよりほか身につかない職人のわざがあるに違いない。それが、「触ってみろ」、「舐めてみろ」と伝えられているのだ

虽经过笔者多次校对,但仍不可避免有错误存在如发现问题,还请指正

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